04.「間違いないですよ、ブラジルは」

 高校卒業の春、大好きだった女性にフラれた。今思えばこれがブラジル行きのきっかけだったと思う。
 ショック状態のまま大学に入学。とにかく今の自分を変えたい、カッコいい男になりたいと思い、『深夜特急』片手にバックパッカーをやってみた。北米、欧州、そして南米を数ヶ月間かけて周った。色々なものを見て、感じ、人間と話した。それなりに満足感もあった、しかし最後の方は飽きてきた。結局は通りすがりの日本人旅行者だった。それ以上でもそれ以下にもなれない。最後に行った南米ブラジルのマナウスで日本ブラジル交流協会のポスターを見た。『働きながら学ぶ』。グッとくるものがあった。帰国と同時に応募、運良くブラジル行きが決定した。

 ブラジルでの研修先は日系メーカー工場内にある発送部、同僚は全てブラジル人。完全な肉体労働。男の世界。ポルトガル語は出来なかったが、そんなことはお構いなしに皆話しかけてくる。話の内容はいつも同じ。サッカー、女性、揶揄合戦・・・。最初は圧倒されていたが、とにかく負けじと、話せはしなかったので、身振り手振りで応答。「一日一回は奴等を笑わせてやる(一日一笑)」を真剣に目指し、日々生活した。
 土日の予定はいつも埋まっていた。同僚に「家でシュラスコやるから来い!」「サッカーやるぞ!」「今夜ディスコでナンパだ!」「呑みに行くぞ!」言葉も全くしゃべれない私を皆やさしく迎えてくれた。感動した。ブラジル最高!と当時の日記に酔っ払いながら何度も書いていた。
 しかし、そんな研修生活もいつまでも順調にはいかなかった。関係が深くなればなるほど、ブラジル人の大雑把さ、いい加減さ、自分勝手さというものに嫌気がさしてきた。また、職場の私を扱う雰囲気も、今までの”真新しい日本人”から、”ただの同僚”へと変わっていった。明らかに飽きられていた。
 そうなると、何をしようにもうまくいかず、楽しくない。そして、その腹立たしさを正当化するために、周りを攻撃している自分がいた、「何でお前らはいつもそうなんだ!だから駄目なんだ!俺は悪くない!バカヤロー!」と。全てが悪循環。研修期間は限られている。焦りだけが募っていった。
 そんなある日、ふと肩の力を抜いて、彼らと同じように立ち振る舞ってみようと思った。相手に求めるだけでなく、自分から一歩踏み込んで、スタンスを変えてみたらどうかなと思い実行してみた。

 待ち合わせ時間には間に合ったら行き、したくないことは無理してしない。綺麗な女性がいたらチラ見するのではなく、相手が気づくまでずっと見続け、遠慮して食べていなかったピザの最後のひとかけらも、自分が食べたきゃ率先して食べる。挙げてみれば小さいことだが、少しずつ今まで自分の中にもっていたルールを変えていった。
 そしたら不思議と色々なことがうまく回りだした。いつの間にか親友と呼べる友もできていた。そして、気づくと自分はまたブラジルを好きになり、ついでに自分のことも少しだけ好きになっていった。一年間この繰り返しだった。

 ブラジルに行って8年が経った。ポルトガル語はもちろん、住んでいた町、同僚の名前すら今は忘れかけている。自分は薄情者だと痛感する。しかし、あの1年間で味わった幸せ感だけは、今もみぞおちと心臓の間くらいにしっかりと感覚として残っている。
 自分にとっての幸せとは何か、そしてどうすれば幸せになれるのか。言葉ではうまく現せないが、ブラジルという大地と、そこで生活する人達から私はしっかりと学んできた。あとはどうやって人を幸せにするか?だ。
 こんな体験をもっといっぱいの人達にしてきて欲しいと素直に思う。そしてそんな人達がもっといれば、もっともっと世の中が面白くなるのではないかと思う。

 間違いないですよ、ブラジルは。


直井 是憲 Yukinori Naoi

1978年、東京都出身。2000年に日本ブラジル交流協会研修生として渡伯。サンパウロ郊外のソロカバ市、セアラー州のフォルタレーザにて研修。 帰国後、日系企業に就職し、現在香港に駐在中。今年、香港人女性と結婚(写真は奥さんと結婚記念に撮ったもの)。

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