01.「交差点」

1985年4月。
22年前、就職活動を目前に控えて憂鬱な大学4年生だった私は、社会に出るなんて実感も自信もなく、正真正銘のモラトリアム真っ只中だった。そして、たまたまスペイン語学科の同級生に紹介された「面接だけで簡単にブラジルに留学できるゾ」という制度に飛びついた。思えばこの瞬間、私は交差点に立っていたんだ。それを渡ったお陰で、私の人生は劇的に変わった。
研修は日本とブラジル日系企業が共同出資した保険会社で引き受けていただいた。研修地は誰もが羨むプライア(ビーチ)と音楽と美女の都リオデジャネイロ。しかし、正直言って「オレはやったゾ」というような痛快な研修成果はなかった。カッコばかりつけて、上滑りしたような1年だった。ポルトガル語は上達したけど、本当に望んでいた人生の修行という意味では、とてもじゃないが「やるだけやった!」と自分に嘘をつけるような研修ではなかった。

しかし、今の私の原点はこのブラジル研修にあると断言できる。このショウモナイ1年間(本当は楽しいことや頑張ったこともあったんですが。。。)を自分自身の姿として認めて、受け入れるプロセスがその後の私をつくってきたのだと思う。
そして、私は88年にブラジルに移住した。やはりブラジルに魅せられていたのだと思う。20年間住んでいるが、益々ブラジルとブラジル人が好きになる一方だ。

ブラジルは若者、特にいわゆる先進国の若者を鍛えるのに最適な道場だと思う。まず、多人種・多文化であること。「異なる」人や物が共存している。このような環境では、とにかく「個」が問われる。日本のように「皆と同じであれば安心していられる」社会とは正反対のところだから、個人の力が物を言う。自分自身と向き合わざるを得ない。だから、若者の成長にピッタリだと思う。
あらゆる意味で正反対と言えるまでに日本と異なるから、逆に日本がよく見える。良い面も悪い面もコンタクトレンズをはめたようによ~く見えてくる。
世界も見えてくる。南の国、歴史の新しい国、発展途上の国、貧富の差が激しい国から今までと違うアングルで世界が見えてくる。価値観が多様になってくる。
ブラジル人と日本人が一番違うところ。私は「よく喋る」ところだと思う。何をそんなに喋ってるんだと不思議に思うほど喋る(もちろん、無口なブラジル人もいます)。自己主張の社会。黙っていることは意見がないのと同じこと。この国では、中身は別としてとにかく自分のアタマで考えた独自の意見を持っている人がとても多いと感じる。
ブラジルは優等生ではない。外国からの借金も踏み倒すし、治安も悪いし、政治家の汚職も相変わらず目を覆いたくなる。少々行儀が悪いところもある、時間にルーズだし。強いて言えば、いつも教室の一番後ろの席に陣取るガキ大将みたいな国。態度はよくないし、先生にいつも怒られてるけど、どこか憎めない人気者。そんなイメージ。

ブラジル研修留学プログラムに応募しようと考えている皆さん、ぜひ交差点を渡りましょう。一生一度、自分の人生です。大いなる道草をガキ大将の国でしませんか?ブラジルで待っています。


神戸 保 Tamotsu Kambe

愛知県出身。大学のスペイン語学科4年在学時に日本ブラジル青少年交流協会第6期研修生として初めての渡伯。1988年、交流協会のサンパウロ事務局員として移住。結婚。日本の進出企業、広告代理店勤務を経て、1988年通訳翻訳業で独立、現在にいたる。サンパウロ州サンパウロ市在住。2児の父。ANBI会長&運営委員。

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