10.「ブラジルという妙手」

 2014年6月13日午後2時晴れ、街を行きかう人々は誰もが黄色いユニフォームを纏い、ウキウキしている。ただでさえ陽気な人達だが、いつも以上に楽しそうにしているのは、間違いなく、これから始まるW杯のせいだった。
 この日のために、新たな競技場が国中に作られた。「税金の無駄使い」と世間から批判が噴出していたことはもう過去の話。大会が始まってしまえば、すべて忘れてしまうらしい。街の至るところで、ブブゼラや爆竹、車のクラクションが開会序曲とばかりに、やかましく鳴り響いている。

 いつもとは違う喧騒を楽しみながら、リベルダージ駅前の4階建て雑居ビルに入る。手すりを掴まなければ、心許なくて昇れそうにない急な階段を、そろりそろりと昇っていく。最上階に近づくにつれ、街角のファンファーレに、パチリ、パチリと心地よい駒音が混じってくる。最上階に、ブラジル将棋連盟会館があるのだ。
世界が注目する一大スポーツイベントなぞどこ吹く風。将棋盤を前にした20人の将棋指し達は、眼前の将棋以外のことを全く、意識の外に打ち捨てている。
ここはさながら日本の将棋道場。笠戸丸移民からはや百七年。地球の反対側でありながら、もうひとつの日本がブラジルにはある。果たしてこの貴重さをどれだけの日本人が分っているのだろうか。

 W杯開幕から遡ること4ヶ月、私はブラジル日本交流協会の研修生として、ブラジルに渡った。私がブラジルに行くことと決意したのは、大学二年生の頃。就職活動を翌年に控え、将来についてアレコレと考えていた当時、少子高齢化に伴う、労働人口の減少と国内市場の縮小がどうしても気になっていた。
 さて、皆さんは人生を何かに例えるということをしたことがあるだろうか。私は、将棋でよくする。その心は、現在の局面から未来を予測し、考え抜いた一手に己の将来を懸ける。一度駒から手を離せば最後。「待った」は無い。いかがだろうか。

 閑話休題。日本はこれから未曾有の人口減少期に入る。それによって多くの社会問題が引き起こされる。自らの将来を考える時、こうしたわかりきった難局を無視する事が、私には出来ない。局面を打開する一手を探してしまうのが、将棋好きの性であり、一心に物事を考えることが、どうしようもなく楽しいのだ。
 熟慮の末、百余年の移民史的繋がりを持ち、160万人とも言われる世界最大の日系社会を持つ、南米の資源大国ブラジルに局面打開の可能性を見出した。
 同級生らが就職活動を始めるなか、ブラジル研修へ歩を進める時は、「もう後戻り出来ない」と大きな恐怖を感じた。

 交流協会の手助けを借り、実際に目の当たりにしたブラジルは、想像よりも遥かに豊かで、底なしに貧しかった。
 日本にいた頃にたてた戦略が、ブラジルの現実から乖離した机上の空論だったことを思い知った時は、愕然とした。しかし同時に、全く違った視点から人生を考えることが出来る喜び、今までにない一手を考えつくであろう予感にこの身が震えた。
 「ブラジルにもっと居たい。1年じゃ足りない」というのは、研修を終えた者の多くが抱く思いだ。私もその例にもれず、「日系社会の凄さを日本人に気付かせたい。日本文化の継承、とりわけ将棋文化普及に協力したい。そのためにもっとブラジルに居たい」と思うようになっていた。
 こんな思いを抱くとは、研修前には想像もしていなかったし、よもや「自分とブラジル」がテーマの研修留学エッセイですらも、日系社会の周知に利用しようと思い立つとは。それもW杯を出汁に使って…。
 深甚なことに、私の研修引き受け先となってくれていたニッケイ新聞社が研修終了後も私を受け入れてくれるという。

 2015年春、私は再びブラジルに戻る。25歳で再びの決断。自分という駒を進める手付きに、去年より明らかに迷いがなくなっていた。
 2015年2月13日晴れ、南米最大の真夏の祭典「リオのカーニバル」が開会し、そのド派手な衣装と熱狂ぶりが世界中の注目を集めた。
 その日、私が何処に居たかと言えば、やはりブラジル将棋連盟会館。国を挙げての一大イベントなぞ、どこ吹く風。将棋盤を前にすれば、あらゆることが、慮外に消えていく。
 場所、人、物が無ければ文化は育たない。全てが揃っているブラジルの貴重さをどれだけの日本人が分ってくれるだろうか…。難局面こそ考えがいがあるというものだ。


石川達也 Tatsuya Ishikawa

1989年、埼玉県出身。2014年度研修生。サンパウロ州サンパウロ市/日系新聞社で記者として研修。

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