05.「ぶらじるサン、どうもありがとう!」

 ときどき、これは信仰に近いな。と思う。そういう人は周りにも結構多い。 ブラジルでの体験を思えば、この世知辛い世の中も結構何とか面白おかしくやって行ける。ブラジル側の視点から見たら、色んな事は結構大したことじゃなくなったりするときがある。自分のブラジルという体験が、帰国後の今までも、そしてこれからも、ちょっと大事な拠りどころになるんだと思う。

 僕は2005年から2006年にかけてブラジル北部、パラ州べレン市から約200km程の距離にある日系企業の植林地にいた。約27年間生きてきたけど、あの1年間程、「人」に魅力を感じた事はなかった。また、あれ程笑顔でいた1年間は、近年無かったなと思う。それは1つの事件によってそう変わったのではなく、毎日毎日の何気ない日常の中で、当地の人々と交わっていく中で、すこーしずつ、すこーしずつ、変わっていったものだった。腹の立つ事もたまにはあったけど、大体において心の中も、顔もハッピーだった。人が大好きになってしまった。生きている事は結構素晴らしいと思えるようになった。1日に50回はサムズアップをしていた。その中の3回は、グーの人差し指と中指の間から親指を突き出していた。

 簡単に当時の1日を紹介しよう。朝5時。日本から持ってきた、京浜急行の形をした目覚まし時計がけたたましく「発車進行」を連呼する。結構すがすがしく起床。空はまだ暗い。水のシャワーを浴びて、外を見る。体長1.2m位のよだれをダラダラながしている体格の良い2匹の夜警の犬(侵入者に噛み付く為の番犬なので、僕は家の外には出られない)がウロウロしている。シキーニョという物凄く愛想の良い夜警のおじさんが、その番犬を2匹つれてショットガンを肩に口笛を吹いている。少しするとシキーニョは、犬小屋に犬を戻してご自慢の自転車にまたがりまた口笛を吹きながら嬉しそうに舗装されていない赤土をこぎはじめる。夜警、シキーニョの勤務は終了だ。

 シキーニョの姿が見えなくなると、交代みたいに土まみれのバスがやってくる。蛍光色のシャツにサッカーパンツ、ビーサンというお決まりの格好をしたブラジル人達がぞろぞろと降りてくる。身長は155cm~178cm位だ。みんなそんなに背は高くはない。僕は作業着にしている色の薄く生地の分厚い、当地の古着屋で買ったジーパンに足を突っ込み、Lサイズのティーシャツをその中にしっかりとしまいこむ。そしてベルトを少しキツめに締める。ちなみに何故かベルボトムだ。つま先に鉄板の入っていない作業靴を履いて、彼らが集まっている事務所の前まで歩いていく。
  Bom dia!(おはよう!)ではなく、まず第一声が「けんじはオカマ!」。いざこざが面倒臭い僕の答えは「そうさ、俺はオカマ!」。股間を触ろうとするやつがいるので、自然とお返しにヘッドロックをキめる事になる。周りの奴らはゲラゲラ笑っている。ご機嫌な1日がスタートする。
 7時過ぎ。勤務開始。同僚のバチスタとブラジルの国歌を歌いながら僕らは植林地に自転車で漕ぎ出す。街では誰が可愛いとか、尻が軽いとか、そんな話をしていると、ちょっとした間の後にバチスタがこんな事を聞く。「けんじ、俺の事すきか!」。「おー、もちろん大好きだ!」と答える。こいつみたいにそういう無茶苦茶ストレートな会話が出来る人間でありたいな。本当にそう思った。
 植林地を徒歩や自転車で歩き回って、調査の仕事をする。仕事中に、藪の中に大きな蜂の巣を発見する。遠くから木の棒を思いっきり投げて破壊をする。2人でダッシュして逃げるが3箇所刺される。1時間毎に水分補給の為の休憩をする。炎天下の中、歩き回って、昼間食べたフェイジョンとご飯と肉のカロリーをしっかりと消費して1日が終わる。みんな陽に焼けて土まみれで、良い顔してる。帰りのバスを待って、僕はみんながバスに乗るのを、事務所の前で胸の前に拳を突き出し、親指を立てるか、グーの人差し指と中指の間に親指を突き出す例の日本式ジェスチャーをして見送る。みんなケタケタ笑ってる。

 植林地の隣の街にもよく遊びに行った。当地で生活して3カ月位経った。ぶらつけば知り合いがいるようになった。暑いと勝手に知り合いの家に入って水を貰ってテレビを見ながら昼寝をする。よく泊めてもらっている家には時々チョコレートをどっさり買っていく。フェスタがあるときは女の子達にダンスを教えて貰う。 僕のお陰で、日本人は物凄くダンスが下手な民族だという事に、当地ではなっている。
 僕はその土地の人たちが大好きだった。みんなも結構気に入っててくれたと思う。僕はあの時の、あの人達の体温が感触としてまだ残っている。その体温を誰かに伝えられればと思ってる。ブラジル全部の事は分からない。でも、少なくとも僕の知っているブラジルはほんとに温かかった。人々のその愛情が篭った言葉の中には、警戒心も、下心も、過去や未来も無くて、その一回の瞬間に心の中にグッと踏み込んでくる。
 最初は見逃してたけど、空振りをし、少しずつファウルになり、時々ヒットも打てるようになった。もう大分腕が落ちてしまったけど、まだまだOKだ。奥の手のデッドボールがあるのを知っている。そういうコミュニケーションが出来た事は、今でもちょっとした自信になってる。
 彼らと付き合っていると、心の底から笑顔で出てくる。ありがとうとか、お前が好きだとか、そういう日本じゃ「アホじゃないか。恥ずかしい。」ような事が素直に言えるようになっていった。逆にニヒルでいることは、別に格好良くも何ともないんじゃないか、と確信した。そういうコミュニケーションの仕方は、今でも凄く役に立っている。気持ちのいいコミュニケーションの方法は、万国共通だ。

  あらゆる人や、言葉や、表情や、そういった感動的な出会いがブラジルには沢山ある。とにかく僕はブラジルが大好き。好きでたまらない。別にサンバもサッカーも音楽もそんなに重要じゃない。僕はあそこの’人’がどうしようもなく好きなんです。ブラジルにはそう思わせてくれる人が沢山いると思います。その経験は本当に拠り所になっています。ブラジルでいっぱい笑って、ブラジルの笑顔を日本に輸入して下さい。それが皆さん、私達のミッションであると思います。


湯本 賢二 Kenji Yumoto

神奈川県出身。2002年、旅行で訪れたブラジルに魅了される。2005年、大学卒業後日本ブラジル交流協会代25期研修生として渡伯。帰国後、専門商社にて勤務。個人の活動として日本とブラジルとの文化交流イベント企画。ブラジル日本交流研修協会実行委員。

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